帰還せよ 北東の国原付の旅① 羅臼岳

羅臼岳登山

宿は岩尾別登山口の木下小屋。現小屋番と前小屋番が一から建てたというログハウスの中は、灯油ランタンで照らされ温かい雰囲気でいっぱいだった。

外にはこれまた、お手製の露天風呂が引いてある。1分と入っていられない熱々の源泉かけ流しは浴槽の縁でほとんどの時間を過ごすことになったが、とても心地の良い時間だった。

客は僕のほかに三人。白山の麓から来た夫婦と斜里の農家で技能実習生として働くベトナム人女性。休みの日を山で過ごしてみたい、と山小屋を予約して来たらしく、小屋番の四井さんはいたく感動して、感謝の言葉を何度も述べていた。

ただ、彼女の雇い主は一人での登山を認めていないらしく、山を前にして小屋泊だけして帰るのだそうだ。危険はゼロではないとはいえ登山者も比較的多く、難易度の高い山でもないのだから、山歩きくらいよかろうとは個人的には思うのだが、そう単純な話ではないらしい。

皆で鍋を囲み小屋の歴史を聞いたり山の話で盛り上がったりと申し分ない夜を過ごした。

2020.9.5 少し厚めの雲が気にはなったが出発。荷物は少ないので速く歩ける。

ヒグマへの不安は少しはあったが、小屋番の四井さんの話によると、車道に出てくるようなクマは例外として山のヒグマは基本的に臆病なのでこちらに気づけば静かに立ち去ることがほとんどだという。

遭遇しても驚かすような動作をしなければ事故につながりにくいとも教えていただいた。ただ、僕は心の奥底でなんとか遭遇してみたいと感じていたのも事実である。

知床の自然とそれを代表するヒグマが多くの人を魅了する理由を僕も自分の体をもって実際に知りたいと考えたからだ。この仕事はNHKでもできやしまい。

あれこれと考えながらトドマツかミズナラかの林を登っていく。霧が濃くなってきてついにパラパラ降り出した。もう3年目になる着倒したヨレヨレのレインウェアを羽織り登り続ける。

靴も防水でないローカットのハイキングシューズなのですぐ水が染みてきた。途中で東京から来たというおじさんを抜かしおそらくこの日の先頭に立った。

谷筋の岩場を少し登ると高い木が姿を消しハイマツ(確かではない)の支配域に入ったようだった。天気からしてもライチョウが今にもも飛び出してきそうな雰囲気だ。

ふいにテント場が現れ、少し離れたところにクマ避け用のフォードシェルターが置いてあった。そうか、ぼくは北海道にいるのか、と改めて自覚したが、辺りは霧しか見えないので何とも実感がわかない。

羅臼岳山頂への最後の登り岩の急登だった。雨でぬれた岩で今にも滑りそうである。四本足ではいずり登る。過去には火山だったのだろうか。ごつごつした岩がなかなかしびれる。そしてついに山頂に立った。

厳つい岩の小さなスペースに山頂碑が控えめに立ててあり、もちろん景色は何も見えない。

風が強く頭の上では流れる雲の切れ間がたまに開くが、景色が見えるほどには晴れなさそうだ。しかし、早く着いたことだし少し待ってみることにする。数組のハイカーが到着し白い写真を撮ってすぐに下りて行った。

雲の切れ間が大きくなってきた。風がびゅうびゅう吹いてきた。青色の割合がどんどん大きくなりついに、山が目の前に現れた。

緑に覆われた知床連山が雲から頭を出した。とても美しい。ちらりちらりと雲の隙間から山のふくらみがみえる。たおやかで深みのある山容に引き込まれる。気づけば山は雲の中に隠れていた。しばらくぼうっと白い霧を見つめていたが我に返って下山を始めた。

標高を下げると雨はやみ、青空が広がった。雲が山にかかり雨を降らしていたようだ。木下小屋にたどり着いた。

小屋番さんに挨拶をして熱々の風呂を浴びる。癖になってしまった。下界でも雨が降っていたようで小屋番さんがカブに干していた洗濯物を取り込んでいてくれたらしい。パンツも。聖人だ。

下山・移動

下山後の温泉は出世払いでという粋な計らいをうけ山荘を後にした。斜里町に戻る途中、振り返ってみると知床連山は晴れ上がっていた。次は晴れの山を楽しませてもらおう。

翌日の斜里岳に向けて清里町の道の駅まで走る。ガソリンスタンドのおじさんたちからのこれ以上ない優しい応援をいただき、道の駅パパスランドさっつるに到着した。山の話をしていた旅人の話に混ぜてもらい楽しい夜を過ごした。

明日は斜里岳。晴れを願う。

おまけ写真
大阪発
新日本海フェリー
旭川 館食堂
オホーツク海と知床半島
サケとマスの遡上保護河川
知床連山 雲がかかっている
木下小屋
源泉かけ流し熱々温泉
ガスの登山道 谷筋を登る
クマ対策フードロッカー
ガスの山頂 雑パッキング
チラリズム知床連山
農業実習生さんからの置手紙&お菓子 元気が出る
斜里岳 明日の山

コメント

  1. […] […]

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